母の笑顔を守ったガン保険

「晃平起きなさい。」
 気合の入った母の声で目覚めるのが、僕の一日の始まりだ。こんな当たり前の毎日が、あの出来事で一変した。二年前のことだ。
 毎年、誕生日の月に行っている乳ガン検診に、仕事が忙しくて行けなかった母は、
「ちょっと間があくと不安よね。」
と言いながら、四ヵ月遅れて行った。
 家族みんな、いつものように「異常なし」を信じて疑わなかった。
 しかし結果は右胸に腫瘍が見つかり、「至急大きな病院で再検査を! 」だった。
 母は、きっと不安だったはずなのに、
「大丈夫さ。」
と、いつもと変わらない笑顔だった。
 僕は、少し不安だったが、母以外の家族全員がインフルエンザにかかった時も元気だった母が、『ガンになったりするものか! 』と自分に言い聞かせていた。
 検査の結果は、乳ガンだった。しかも、乳ガンの中でも最も悪性のものだそうだ。僕は、どうしていいか分からなかった。
 母は、小学生だった僕にも理解しやすいように丁寧に説明をしてくれた。
話の最後に、
「晃平、ちょっと胸を貸してくれん。お母さん二度と泣かないから、一度だけ思いっきり泣かしてくれる。」
そう言って、子どものようにおいおいと泣いた。つられて僕も泣いた。そして、僕も二度と泣かないぞ… … と心に誓った。
 乳ガンとは恐ろしいガンで、乳ガンと診断された時点で全身にガンが広がっている可能性があるそうだ。
 母のガンは特に悪性だったため、右胸を全摘し、半年に及ぶ抗ガン剤治療をし、更に一年間ハーセプチンという新しい抗ガン剤で治療することが決まった。
 小学校の常勤講師だった母は、長い闘いのために仕事を辞めなければならなかった。
 収入は無くなるのに、高額な医療費を払わなければならない現実は、小学生の僕にも理解できた。
 特に、ハーセプチンという新しい抗ガン剤は、一回の投与に約二十四万円もかかるそうだ。最近、保険適用薬剤になったが、数年前までは全額自己負担だったそうだ。他の抗ガン剤も決して安いものではないらしい。
 だから、高額な医療費が払えずに途中で治療をやめる患者も少なくないのが現実だと、治療中の母が話してくれた。
 手術で右胸を失い、長かった自慢の髪の毛も抗ガン剤のせいで全部抜け落ち、吐き気という副作用に立ち向かっていた母だったが、
「お母さんは、ガン保険に入っていたからこんな治療が受けられるのよ。幸せよね。」
と、いつも笑顔だった。
 僕も、笑顔でうんうんとうなずいていた。
 そんな生活が一年半続き、今年の五月で、やっとすべての治療が終了した。
 いつもの毎日が我が家にもどってきた。
「いいかげんに起きなさい。」
と、母が怒る寸前まで起きたくないのは、眠いのが半分と気合の入った母の声を聞いていたいのが半分。
 母が、ガン保険に入っていなかったら、今頃どうなっていたのだろう。そんなことを考えると、時々怖くなる時がある。
 でも、母の笑顔を見ていると、そんな不安もどこかへ飛んでいってしまう。
 母の病気のおかげで、当たり前だった幸せが、かけがえのない幸せだということに気づくことができて本当によかった。
 朝起きるのは苦手だが、二年前より少し成長した僕は、母の笑顔を守るために僕ができることは、何でも手伝うようにしている。
 そして、何よりも、母の笑顔を守ってくれたガン保険に感謝している。

佐賀県佐賀市立昭栄中学校二学年
黑田 晃平さん
公益財団法人生命保険文化センター
第51回中学生作文コンクール
全日本中学校長会賞

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